「金づちしか持っていない人は,すべての問題を釘と見なしがちだ(If the only tool you have is a hammer, you tend to see every problem as a nail.)」(エイブラハム・マズロー)という言葉があります。
多くの日本人ユーザは,黙々とReBlogという“釘叩き”に勤しんでいます。対して英語圏では「皆が同じコンテンツをTumblrにポストしまくってるが,どんな意味があるんだ?(What's the point of everyone posting the same content on their Tumblr?)」などと疑問を投げる人も結構います。
彼らは古い認知フレームに縛られているのでは? ニュートラルであり,マニュアル不要,同調や空気読みの圧力もないReBlogという手段があるからこそTumblrは面白いのに! そういう意味で,含意の多義性があるからこそ“使える”ReBlogは,金づちではなく多機能なアーミーナイフだと考えるべきでしょう。
Photo: Chris Kohler/Wired.com(以下すべて)
30歳になる前に心臓発作が起きてもかまわない人は、カツとチーズを一緒に注文することができる。私は、そういう食べ方が可能と知って以来、ずっとそうしてきている。
ニューヨーク発――日本のカレーは、世界で最も完成されたカレーだ。これに異を唱える人がいるとすれば、理由はただ1つ、日本のカレーを食べたことがないからだ。
インドやタイの、カラフルで舌がヒリヒリするほど辛いカレーならよく食べる、という人はいるだろう。中には、和食レストランで好奇心に駆られ、いつもの照り焼きチキンでなくカレーを注文したことのある人もいるかもしれない。そしてひょっとしたら、そのカレーの上には、日本でおなじみのトンカツまで乗っかっていたかもしれない。
そしてホウレンソウのオリジナルに関する記事を、4/2日経春秋で発見。
この語呂合わせは旧山種証券の社長だった山崎富治氏が20年以上前に考案したとされる。報告は縦、連絡は横、相談は集団のコミュニケーションを指す。本来は風通しの良い組織づくりの大切さを説いたはずの言葉だった。
ところが、いつの間にやら上司への一方的なコミュニケーションと曲解されておかしなことになっている。
オリジナルの「ホウレンソウ」とは「何を上司に話すべきか」ではなく「誰とコミュニケーションすべきか」を分類したものだったのです。すばらしい。
私個人も横のコミュニケーションを重視します。連絡には本来「つなぐ」という意味があるのですが、企業が成熟して官僚的になると、何かトラブルがあったときに責任がないことを明確にしようとするバイアスがかかる。そうするとどんどん「継ぎ目」が少なくなり、下手をすれば継ぎ目に隙間ができる。「言いましたよね!」と後で言うための保険が「連絡」になってしまう。
なので連絡という言い方はせずに「のりしろ」と呼んでいます。スケジュールを引くときにもタスクの成果物の引渡しには必ずのりしろを持って、後続タスクが動き始めるのを見届けることが先行タスクの終了とする。
後藤貴子の米国ハイテク事情 (via tsupo) (via cxx) (via yellowblog)
カエルの目が外界について脳に伝えることは4つだけ、
- コントラストの明瞭な境界(水平線の位置を知る)
- 照度の急激な変化(これで天敵の接近を知る)
- 動くもの輪郭
- 小さく黒っぽい物体の輪郭を曲線(ハエ)と敵・味方・水面の情報のみ
カエルの脳は周囲の「リアル」なイメージを組み立てることには興味が無い、あるのは自らが食べ物にならずに食べ物を捕らえることに尽きる。「(カエル)目は、高度に体系化されて解釈のなされた言語によって脳に語るのであり、受容器が検知した光の分布を正確にコピーして伝える訳ではない。」
カエルに比べれば人間はかなり多くのものが見えている。けど、それでも徹底的にフィルタリング&再構成された幻覚を見ていることには変わりない。ものそれ自体がどうのこうのと言い出すと哲学の世界。にしても、「短絡的な善悪判断による紛争」をなくすためとはいえ、どうやっても知覚できないものにどうやって気づこう。熱センサーで紛争はなくならないだろうし。
かすかに関連:脳が生み出す幻覚を簡単に体験できる例:
エジソンは自身を自然界のメッセージを受け取る受信機に例えるほどひらめきを重視していた。「天才は1%のひらめきと99%の汗」 (Genius is one percent inspiration and 99 percent perspiration.) という有名な発言がある。これは「インスピレイション」(ひらめき、霊感)と「パースピレイション」(発汗作用)が脚韻で、「パーセント」(百分率)と「パースピレイション」(発汗作用)が頭韻になった洒落であるが、努力の重要性を物語る発言として人口に膾炙(かいしゃ)している。
しかし本人が後年語ったところによると
取材した若い記者は私の言葉を聞いて落胆したのか大衆受けを狙ったのか、努力の美徳を強調するニュアンスに勝手に書き換えて発表してしまった |
ものである。
実際は「1%のひらめきがなければ99%の努力は無駄である」との発言だった。言い換えれば、「1%のひらめきさえあれば、99%の努力も苦にはならない」ということである。それこそが、例えば竹のフィラメントを発明するのに1万回失敗しても挫折せずに努力し続けるよう彼を支えたものであったと思われている。つまり、エジソンにはひらめきに裏付けられた確信があったのであろう[2]。
しかし本人が後年語ったところによると
「取材した若い記者は私の言葉を聞いて落胆したのか大衆受けを狙ったのか、努力の美徳を強調するニュアンスに勝手に書き換えて発表してしまった」
ものである。
実際は「1%のひらめきがなければ99%の努力は無駄である」との発言だった。言い換えれば、「1%のひらめきさえあれば、99%の努力も苦にはならない」ということである。それこそが、例えば竹のフィラメントを発明するのに1万回失敗しても挫折せずに努力し続けるよう彼を支えたものであったと思われている。つまり、エジソンにはひらめきに裏付けられた確信があったのであろう[1]。
最高級のひらめきは突然やってきては一瞬のうちに消え去ってしまうものが多い。よいアイディアほど、自分の深層意識のより深いところからやってくるものであり、それが深ければ深いほど、表層意識では意識できないので、いとも簡単に忘れてしまうという。
エジソンは、ペンと紙を常時携帯し、思い浮かんだ瞬間には面倒くさがらずに書き留めていた。ちなみにアインシュタインもメモ魔として有名であった[2]。
天才には「アインシュタイン型」と「エジソン型」の2つのタイプがあると言われ、前者はひらめき重視型、後者は努力重視型とされている。ただしこれは、冒頭のエジソンの誤解された発言を元にしたものである。エジソンもまたひらめき重視型の天才であって、両者ともに同じタイプの天才だったのである。
押し入れの中に、見ず知らずの女が住み着いていた!? 福岡県警粕屋署は28日、同県志免町の男性(57)宅に忍び込んだとして、住居侵入の現行犯として住所不定、無職堀川タツ子容疑者(58)を逮捕した。押し入れ内の天袋にマットレスを持ち込み、生活までしていたという。
同署によると、男性は1人暮らし。以前から家の食べ物がたびたびなくなることを不審に思い、人影に反応すると画像が携帯電話にメールで送られる仕組みの警報装置と監視カメラを室内に設置。この日午後2時すぎに外出すると、十数分後に不審者が写った画像を受信した。
” 知らない女、天袋に住み着く!? 住居侵入容疑で逮捕 粕屋署(西日本新聞) - Yahoo!ニュース
いま、問題になっているのは、炭鉱住宅=炭住などを、市街戦を想定した自衛隊の訓練に使うという構想です。
誘致が実現すれば、国からの交付金のほか、新たな住宅の整備も期待できるといいます。
さらには、カジノや、高レベル放射性廃棄物の最終処分場など…、夕張の商工会議所は、あわせて6つの誘致案を、検討しています。
財政破たんから1年で、夕張市の人口はおよそ600人、減って、予想を上回るペースで、減少しています。
このままでは、マチが消滅する…。
夕張は、いま、いわゆる「迷惑施設」の誘致で揺れています。
Hana*テレビで放送 2008年5月29日(木)19:00更新
上地氏はブログ開始後1年強で累計総アクセス数10億PV突破を見込む人気ブロガーだ。2007年6月21日からサイバーエージェントのブログサービス「Ameba」でブログを開始。開始当初から徐々にアクセス数を増やし、現在の1日平均アクセス数は500~600万PVに上るという。
実は、この帝国ホテルこそ、柿の種とピーナツを組み合わせた、いわゆる「柿ピー」を日本で初めて考案し、提供したという伝説を持っているのだ。
広報課副支配人の宮崎真理さんによると、現在の本館が完成したのは70(昭和45)年。だが、「柿ピー」は、フランク・ロイド・ライトが設計した旧帝国ホテル時代からバーで提供されていた。
開業119年を誇る同ホテルは、外国の要人を泊める施設として国策で建てられた。西洋にならい、酒のつまみとしてサービスナッツを日本で初めて出したのも同ホテルだ。「その際、なにか日本らしさを出そうとして、柿の種が選ばれたのでは」
このバーでは、新潟県内産の柿の種と千葉産のピーナツを7対3の割合で配合。外国人には「ジャパニーズライススナック」と紹介している。
ビールはもちろん、ジントニックやマティーニなどのカクテルにも驚くほど合う。
「ちょっぴり辛いので最初は戸惑う。でもすぐにクセになる。外国のお客様は本当によく召し上がります」
■金型つぶれて柿型に
「柿の種」を最初に作ったのは、長岡市摂田屋町の「浪花屋製菓」だ。創業は19(大正8)年。やがて薄く切ったもちを何枚かに重ね、小判型の金型で切り抜いてあられを作り始めた。が、その金型をうっかり踏みつぶしてしまい、元に直らないのでそのまま使用したところ、ゆがんだ形のあられができた。得意先から「柿の種に似ている」と言われ、ヒントを得て、23(大正12)年に「柿の種」が誕生した。同社製品を「元祖 柿の種」と呼ぶゆえんだ。創業者は米菓振興のため進んで製法を伝えたため、多くの業者が追随したという。ピーナツ入り柿の種を県内で初めて商品化したのは亀田製菓で、66(昭和41)年に発売された。(三沢敦)