在満満字是もまた麻呂と称ふ。 通名東之進、春満の姪也。同じく国学を唱ふ。大嘗会具釈、同便蒙等を著す。今代故実の行るゝによりて、其考索の明なるもあらはれぬるとぞ。又国歌八論あり、後世の弊をためて見る所なきにはあらねど大過せり。皆梨棗に登すに憚有て写本也。又百人一首古説とて、此人と真淵と共に著せるもの有、又世に公ならず。近比印行せる真淵のうひまなびは、是にもとゐせるなり。関東にして国学により、某の君に仕へしが、かの君おぼす所ありて、其説に従しめんとす。在満きかず、貴賎品ことなりといへども、各志ス所あり、己が見る所をすてゝ人に従ふは謟諛なりと。終に禄を辞して去。家居教授して終る。其子御風、通名東蔵、家学を嗣て江府にあり。女弟、民子もまた古きを好み、歌をもよみて同じく教授す。倶に近年物故せり。