江戸畸人伝の「荷田在満」の記録。
江戸畸人伝の「荷田在満」の記録。
江戸中期の国学者。荷田春満の甥で、彼の学問的後継者である。字は持之、仁良斎と号していた。通称
は東之進、在満はその名である。たまたま春満に子がなく嗣子となり、大いに古学をとなえ、特に有識者
に精通していた。享保年間江戸に下り学問普及に努力した。その後、幕府の命により京師に赴き大嘗会議
を記録し注釈を加えた。また貞観格式の校訂を行い、田安家に仕えたがまもなく辞任した。
その後は人びとを集めて教育を業とした。宝暦元年(1751)八月四日没。年四十六(一説には四十)。
著書には「大嘗会具釈」、「大嘗会便蒙」、「国家八論」、「冷三弁」、「本朝制度略考」、「家記所
繋考」、「白猿物語」、「長月物語」、「古今集左注論」その他多い。