Kyouichi SHIKUYA's Library tagged → View Popular
BBCの世界の国、好き嫌いの世論調査:散人はインド人になれるな!
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一方、どっかの国が好きだとか嫌いだとかの感情が極端に激しい国は、まあ判らんこともないが、たいていトラブルメーカー。ろくな国じゃないね。
「漫画をビジネスに変えた男!」
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さいとう氏の人間性、そしてパワーとエネルギーに圧倒されたのだった。スタジオはいつもとまったく違う雰囲気となり、オーディエンスもスタッフも、もちろんわたしも小池栄子さんも、さいとう氏の魅力にあてられて、わけのわからない開放的な気分になった。「自分のアイデアや考えをどうすれば周囲のスタッフに伝えることができるでしょうか」という会場からの質問に対して、さいとう氏は、「違う脳みその相手にうまく伝わるかどうかなんてわからないのだから、とにかく言いたいことを言えばいいのだ」というようなニュアンスの回答を言った。

奇妙な説得力を持つその回答は、スタジオ内に健康的で開放的な爆笑を生んだ。普段は「正確なコミュニケーションを心がけよう」みたいな啓蒙的なやりとりがなされる『カンブリア宮殿』のスタジオが、より根源的な人間の営み、とでも呼べるような「文学的な空間」に変わっているのがわかった。わたしは、雲ひとつない快晴の空の下で思い切り深呼吸をしたときのような良い気分になった。
さいとう氏は、とんでもないエネルギーで作品を描き続けてきて、その蓄積がわたしたちを感動させ、畏怖させ、開放的な気分にしたのだと思う。さいとう氏との会話を通じてわたしは戦後の日本に充ちていた強大なパワーとエネルギーについて考えを巡らせた。高度成長時代に思春期を過ごしたわたしにもそういったパワーとエネルギーの記憶は残っている。あれは経済合理性を超えたものだったと、さいとう氏との出会いの余韻に浸りながら、そう思った。
安倍晋三の「影の官房長官」菅義偉総務相(2007/3/2 )
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安倍から総務相に抜擢を受けた菅は「スピード感」を重視。民間有識者を審議会ではなく、政策決定に直結する知恵袋として使おうと試みる。NHK改革の理論的支柱は「通信・放送改革タスクフォース」だ。東洋大教授・松原聡らが「現状では受信料を義務化するだけの改革は進んでいない」と菅を後押しする。作家・猪瀬直樹、パソナ社長・南部靖之らを集めた「行政効率化タスクフォース」も発足。地方財政改革も北海道大教授・宮脇淳らに委嘱し、合わせて3つの「菅チーム」を構築した。
大臣が役所に頼りきらず、直属のブレーン・チームを組織して改革のエンジン役とする。これは菅の前の総務相だった慶大グローバルセキュリティ研究所長・竹中平蔵が得意とした手法だ。菅は竹中に副大臣として1年近く仕え、気脈を通じた間柄。松原は竹中時代の「通信・放送のあり方懇談会」でも座長だったし、元経産官僚で竹中の政務秘書官を務めた慶大助教授・岸博幸も「菅チーム」に名を連ねる。
変質するファンド(20070301)
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一昔前に、Private equity fund とは、未公開企業の上場益で稼ぐ高収益ファンドと教わったが、今や、ヘッジファンドや投資銀行との境界も曖昧。資金源には世界の銀行も含まれていそうで、どうなっているのか、さっぱりわからない。ただ、膨大な投資資金が集まっていることだけは確かである。
低金利の「円」も大量に流れ込んでいることだろう。
それでは、このファンドの一番の特徴は何かと言えば、投資者の実体を明らかにせずに、株式市場で大胆な行動ができるという点だ。ともかく、大型の買収や合併を進めるのだが、どのように収益を上げるつもりかは明瞭とは言い難い。
尋常な儲けのタネは尽きてきたのかも知れない。
こんな動きを見ていると、ファンドは市場の霍乱要因に映るが、ファンドは経済を軌道に乗せるために大きな役割も果たしている。
特に、日本では、ファンドに活躍してもらわなければ、健全な経済運営は望み薄だ。頑張って欲しいと思う。
と言うのは、経営者の怠慢で屋台骨が傾いてしまったり、とんでもない方向に進んでいる企業を、方針転換させる力を持つのは株主しかないが、日本では、そんな機能を放棄している株主が多いからである。
従って、ファンドにその役目を担ってもらうしかないのが実情。
なにせ、信用できない金融機関だらけなのだ。
そもそも、産業金融のトップ、しかも国際派バンカーが、繁華街の料亭に“融資させてもらう”ために、わざわざ女将と一席設け、あげくのはてに騙されたりする風土である。
しかも、これはバブル期の笑い話では終わらない。反省どころか、ひどくなる一方のようだ。
驚くことに、金融市場に直接係わる証券会社が、堂々と不正会計操作を行う。そんなことをしても、軽いお咎めで終わるらしい。
それに加え、日本を代表する銀行が、トップ了承のもとで、暴力団がらみの業務をずっと続けていたとの話まで伝わってきた。
日本企業は、こんな金融機関とつきあうしかない訳だ。“ビジネス慣習を大切に”する企業は多いから、日本全体に腐敗が広がってもおかしくない。
狐の王国 ネットに慣れた人でも情報を見分けるのは難しい
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- 「勝ち組」というキーワード。儲け話は釣りの基本(ほんとうに儲かる話は表に出ないよ)
- ネットジャンキーが集まる場所でネットを否定してみる(釣りやすい)
- メールじゃなくて電話という簡単な結論(似非科学の結論と同じ)
こんなものは状況によって違う。
そりゃ慣れたコミュニケーション手法のほうがいいに決まってる。相手がメールに慣れてなければ電話、電話に慣れてなければ対面、対面に慣れてなければメール、大切なのは状況判断だろう。
片っ端から電話をかけて会ってくれる人を探すのと、片っ端からメールを投げて会ってくれる人を探すのと、どちらがいいかなんてくだらない。電話のほうが確率は高いとしても、メールは電話の数倍から数十倍は軽く投げられる。どっちもspamには変わり無いけどね。
さて、この記事に見られる特徴を挙げてみよう。
大雑把にはこんなところだろうか。匿名ダイアリーなら発言の責任もないだろうし、俺もこういう記事捏造してみようかな。
しかし、電話などという相手にとってコストの高い手法が効果的だなんてなあ。アポ無し訪問の次くらいに迷惑な気もするんだが、まだまだそういう手法に効果があるというのは事実だろうな。なんせ名簿買ってきて片っ端から電話メソッドがまだまだ多いくらいだからな。
想像力はベッドルームと路上から - 街頭でのデモンストレーションが大嫌いな中川君は日教組解体のついでにサラ金のティッシュ配りもやめさせようね。
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仮にも「既存権力」であるはずの自民党が、小泉政権を経由することにより(その内実はともかくとして)「衣替え」を行ったにもかかわらず、それに対抗すべき組織が既存の体制を保ったままで外部からの支持を集められると本気で考えているのだろうか。
だとしたらこれ以上間抜けな話は無い。
既に、各団体は至る所で「膿」としか言いようの無い醜態を晒しており、それが運動の本質部分に関係することだとは言い切るつもりはないが、組織体としての機能は相当劣化していると考えていいと思う。非正規雇用者の組織化は遅々として進まず、日教組はイデオロギーを振りかざすのみで、「現場」と「子供」は疎かにされたまま。解同に関しては最早完全に「既得権益化」している事実を晒すのみである。
有効に運動を行う為には、体制と戦術に応じたダイナミックな組織の解体と再構築が必要であり、それは権力に対抗する際の大きな利点でもある。現在の組織は、その「機動力」という利点を自ら手放しているように僕には見える。
大体、十年以上前に有効だった戦術や組織論が、現在も有効だなんて考えること自体おかしいのだ。方法論の思考錯誤こそが運動の本質であるし、「最高の快楽」であろうに。
どう左寄りに考えても、既存の左派勢力の組織は有効に機能しているとは言えず、逆に運動そのものの足かせとなっているのは明白である。運動は「守る」為に行うものではない。本来得られるべきものを「勝ち取る」為に行うのではないか。権利を「守る」ということを口実に組織そのものの存続を図ろうとする姿勢は既存権力と全く変わらない。
いい加減その事実に気が付いてもらわないと、まずは「あなた達」から先に潰さなくちゃいけなくなるぜ。
池田信夫 blog e-Taxの憂鬱
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そもそも疑問なのは、なんでこんな厳重な本人確認が必要なのかということだ。他人になりすまして税金を払う人なんているのだろうか? 磯崎さんも指摘するように、アメリカでは5桁のパスワードで手続きできる。日本でこういう異常な「セキュリティ」が要求されるようになったのは、「行政が非効率でもかまわないからプライバシーを守れ」と主張する山形浩生氏のような連中の攻撃を、行政が恐れたからだ。
しかも、このシステムの構築にかかった経費は500億円。間違えないようにいうと、e-Tax自体で現金を送金するわけではなく、ただ納税申告書をウェブでファイル転送するだけである。それにこんなコストがかかるのは、「セキュリティ」を守るために専用サーバや専用線などの高価な設備を調達したからだ。国税庁のシステムでもっとひどいのは、KSKという税務署間の連絡ネットワークで、構築に12年かかり、4000億円の初期費用と毎年600億円もの維持費がかかっている。
松浦晋也のL/D: 公文書を読む
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私から見て目立ったのは、「そもそも警察庁の出した文面は、疋田氏が主張するように読めない。疋田氏は文面を歪曲して解釈している」というものだった。
確かにそう読めるのだ。常識的には。
だが、「常識的」というのがくせ者なのである。
ちょうど良い機会なので、ここでまとめておこう。
官僚の作文において、「常識的にどう読めるか」は意味を持たない。1)常識をいっさい働かせずに、その文章の文脈と論理のみではどう読めるか
2)その文章の前にどのような文章が公式文書化されているかという脈絡のみがすべてである。
常識で色々補って読むと、官僚の思うつぼにはまってしまうのだ。
私の見るところ、疋田氏は官僚の作文の読み方を理解した上で、今回の運動を起こしている。対して、「疋田氏は警察庁の文書を歪曲解釈している」と指摘する向きは、官僚作文の読み方を知らず、常識で読み解いてしまっているのである。
ICPP報告書で世界は変わるか(20070215)
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こんな状態を見ていると、危機を感じる人は多いかも知れない。対応の余りの鈍さに歯がゆく思う人も少なくない筈だ。
しかし、危機を煽るべきではない。そんなことをすれば、解決から益々遠ざかることになる。
危機感は教えて伝わるものではないからだ。
最悪は、過激な行動で訴ったえる戦術。もともと問題意識が無い人には馬の耳に念仏。せいぜいが、政争に利用されるだけ。
そんなことをする位なら、温暖化が進み、荒っぽい気象になり、乾燥地帯が広がってきた時、どうやって我々の生活を守るかを考える方がましである。
人々の考え方を変えない限り、世界は変わらない。報告書とは、それがどんな内容であれ、考え方を変えるものではない。
核兵器廃絶ができないのと同じようなものである。
ENTRE STAGE[アントレプレナー(起業家)を志し、独立、開業、起業を目指す方の応援サイト!]
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「他人の幸せを考えた事で、自分の幸せにもつながった」
本田社長はそう話されている。だが、本当にそれを考え、実行できる人間がどれだけいるのだろうか。願わくば自分自身もそうなりたい。そう考えさせられるお話であった。
ENTRE STAGE[アントレプレナー(起業家)を志し、独立、開業、起業を目指す方の応援サイト!]
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会社の大きな考え方でもありますが、自分の欲求を満たす満足なんて薄っぺらいんですよ。せっかく起業するなら、何のためにやるかを考えた方がいいんじゃないでしょうか。
「再び『政党不信の時代』がやってきた」
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振り返ると、今の自民、民主の二大政党制は、「自民よりも右寄り」の小沢自由党が、諸手を挙げて「政策・人事丸呑み」で旧民主党と合併したことで始まった。それに英国仕込みの「マニフェスト」というお化粧直しが施され、完全にエセ「二大政党制」の大宣伝が始まったのだ。それにだまされ、今では当たり前のように考えられている二大政党制の雄・民主党も、生い立ちを見れば、元々、自民党以上に「寄り合い所帯」「ごった煮」状態だ。その機能不全は救いようがない。
■[話題][匿名性]「ブログ実名制」へ向かう中国政府
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http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0610/23/news029.html
中国インターネット協会(ISC)が同国政府に対し、ブロガーがブログを登録する際に実名を使うことを義務化するよう提案した。自由なWebコンテンツを規制しようとする最新の試みだ。
「自由」を否定しようとする動きが、匿名性の否定へとつながるということを、端的に示していると言えるでしょう。
インターネット上の各種悪用事例(違法な誹謗・中傷や違法コンテンツのアップロード等)は、もちろん、許されるものではなく、今後とも対策が講じられる必要がありますが、そういった行為は、「自由」が存在するが故の「濫用」であり、濫用することもできないような不自由な状態、そういった社会が、我々にとっての望ましい社会なのかどうか、ということは、よく考えてみる必要があると思います。
インターネット用の匿名性が排除されれば、即、「寒い国」のような自由のない社会になってしまう、とも単純には言えませんが、匿名性があるからこそ、主張したいことが自由に主張できる、自由な言論が根底から支えられる、という側面も、見逃すべきではないと私は思います。
何事においても、メリットやデメリット、プラス面やマイナス面等々にバランス良く目配りした議論が必要ですが、匿名性の問題についても、そういったバランスのとれた議論、検討が必要ではないかと思います。
高額炊飯器がバカ売れ-ネット・ソフト化経済センター
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購入するのは50才代、メーカーの担当者は「蓄えがあり舌が肥えた人たちが買っている」と驚いている様子が書いてあったが、大きな変化の先端現象じゃないのかと思う。
日本でも高額な厨房機器が売れ始めたのが重要なことである。
90年代の初めにアメリカの景気が回復し、所得の高い人々が消費するのが高級車、高額マンション、別荘でなく、台所用品だという新しい現象が起こった。こうした新消費層を、ブルジョアのうえボヘミアンなライフスタイル(ジプシーの自由で奔放なスタイルで、文化や芸術を愛する)だと「Bobos」(2つのBoは、ブルジョアとボヘミアンの頭文字をとった、ボボス族)というが、日本でもそんな種族が登場したのがこれじゃないのか。
ボボス族が消費する場所が、厨房(広い台所、高価な包丁、紋章がついたナイフとフォーク、高額な鍋)、家具、庭園など身の回りのもので、他人に見せびらかすのでなく、自分や家族のためにカネを使う点が新しい。
アメリカのBobosは、景気回復でITや金融で数億円、数十億円の金持ちになった40才代や50才代のことで、成功したアメリカの団塊の世代である。
アメリカの団塊世代は、1946年生まれから、以後18年間(こんなに長いのは、戦勝国で戦地に駐留していたためと朝鮮戦争などがあったため)に生まれた世代で約7000万人、先端は今年60才になった。ボボス族は、この主力層である。
この連中は、大学院卒の高学歴のうえ、文化を愛し、趣味が広く、前世代の金持ちとはライフスタイルが全く違う。国家よりも住んでいるコミュニティに忠誠心を持ち、社会参加を大事に考える利他主義者である。
マイクロソフトのあるシアトルが、ボボス族の多い代表的な都市であるが、ソフトな産業がこんな新種族を生み出した。
これがアメリカのボボス族で、日本でも登場するなと思っていたところ、ついに登場したのである。
9月末つま恋であった吉田拓郎とかくや姫のコンサートには、チケットが15,000円もするのに35,000人も集まった。参加したのは40才~50才代で、経済的な苦難にあっているわりにはずいぶん思い切った支出をするものだと感心したが、これに高額な炊飯器の売れ行きを重ねると、日本でもボボス族誕生の証拠ではないかと思う。
ほんとにそんな社会に変っているんだ、なんだか面白い時代になってきた。
MORI LOG ACADEMY: 議論する?
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政治家の誰かが、日本の核保有について「議論しても良い」と発言したらしい。そのことが、各方面で話題になっている。おそらく、「議論などすべきではない」という反発だろう。しかし、そういう意見の人が何人も集まって、「議論するまでもない」とか、「議論することは危険だ」と言いながら、議論をしていた。なんだ、議論すべきではない、と言っている人たちが議論をしているではないか。
どんな問題についても、議論をすべきではない、という理由はないと思う。あるいは、議論をすべきではない、という意見を述べることさえ、議論の一部であり、矛盾している。
絶対に許せないこと、完全に間違っていることだ、自分たちの正義が圧倒的に優位である、と信じるのならば、議論を恐れる必要はない。議論をすれば、たちまち明らかにできるだろう。
議論をすべきでない、あるいは議論をすれば危険だ、という立場とは、なにかしら論理的な問題を抱えているか、解決できない矛盾があるか、説得できない曖昧な部分が存在する証拠ではないだろうか。それこそ、議論をすべきである。
「そんな議論に関心はない」と言えばまだ良かったのではないか、と思った。
双風亭日乗 - 創造するためのギャップ・イヤー
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茂木さんは、このギャップ・イヤーを学生時代のみが利用する制度にするのではなく、社会人になってからも利用できるようなものにするのがいい、といってました。さらに、印象的だったのは、フリーターとかニートとかいわれている人たちの状況も、視点を変えればギャップ・イヤーのようなものなのではないか、というようなことを指摘していたことです。この指摘は、ただただ「フリーターはだめだ」「ニートはどうしようもない」と一元的な指摘しかできない論者が多いなかで、とても新鮮に感じました。
ずるずると何年もフリーターやニートを続けている場合は、ギャップ・イヤーの本意が適用できないかもしれません。だって、そうなってくると、フリーターやニートを「やらない時期」こそが、ギャップ・イヤーになるではありませんか。
しかしながら、学生から社会人になる端境期に、それほど長い期間でなくフリーターやニートをやる場合は、フリーターやニートの時期もギャップ・イヤーだといえるのかもしれません。この場合、「期間」の長さが問題になろうかとは思いますが。
いずれにせよ、社会人になってからギャップ・イヤーを実践するとなると、その期間の食い扶持を保証してくれるようなシステムが必要になります。それを実践することにより、多くの人が創造的(クリエイティブ)になり、社会全体に利益をもたらすのであれば、それこそ国や地方自治体などがそのシステムをサポートするのがいいかもしれません。そうなると、どの程度の創造が社会の利益になるのかという、これまた判断がむずかしい問題が浮かびあがります。
現状の日本では、社会人のギャップ・イヤーというのは、夢物語なのかもしれません。しかし、知らなければ夢にも見ないわけですから、やはり茂木さんの提言は重要かつ刺激的なものだと私は思いました。
モンダの人々 - シロクマ日報 [ITmedia オルタナティブ・ブログ]
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政治の世界に限らず、会社の中にもこうした「モンダの人々」が存在しているのではないでしょうか。「会社とはこんなもんだ」「プロジェクトはこう進めるもんだ」「消費者なんてそんなもんだ」などなど、前例や過去の経験だけを鵜呑みにして是非を検討せず、新しい方向性をあきらめようとする人々です。彼らの存在は政治腐敗ほど深刻な問題を引き起こさなくとも、イノベーションの発芽や新しい世代の台頭を妨げる原因となり得ます。
「モンダの人々」は身近な存在で、一見すると味方のように見えるために、彼らの意見を跳ね除けることは難しいでしょう。その意味で、「味方がこわい」という浅野教授の指摘は核心を突いていると思います。最も怖い敵は社外にいる競合他社ではなく、社内にいる「モンダの人々」なのだ -- と意識して警戒することが重要なのかもしれませんね。
[を] マスコミあってこその日本のYouTube、という話
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アメリカのテレビ局や映画制作者たちが、自分たちのコンテンツも
この流れにのせればリターンが得られると思ったのに対し、
日本の著作権利保持者がYouTubeを見たときには「俺たちが制作した
コンテンツを勝手にアップロードして皆で見ているだけじゃないか」
と考えた。冒頭で紹介したYouTubeの創業者2名の笑顔の映像を見たときに、もし彼ら
が日本人であれば翌週の週刊誌などで「YouTube創業者、学生時代の悪評?」
といった記事が出るんじゃないかと思いました。これはいかにもありそう!
この記述がツボにはまったので記事にしてみたのでした。
茂木健一郎 クオリア日記: いつ、どこにいても孤独に
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大竹さんの日本の描き方は独特である。
日本をモチーフにしていながら、
私たちの知っている日本、すでに表象空間の
中でキッチュに定型化したそれとは違う。西洋の美的伝統の中での「普遍」に対する
「特殊」をやや偽悪的に衒うのではなく、
もっとすっきりとした、透明感のある
表現に達している。その秘密は何なのだろう、
と大竹さんが青年期に二万円を握りしめて
赴き、一年間朝から晩まで働いたという北海道の
「別海」の牧場時代の絵や写真を眺めて考えている
うちに、ああそうか、大竹さんは孤独なんだ、
と思った。いわゆるキッチュな日本の描き方は、
見るものとの共犯関係を前提にしている。
大竹さんは、そのような相手との
なれ合いを潔しとしない。主観が変われば、風景も変わる。
「日本人の一人ひとりが、もっと自分自身
だけで立って、孤独になるだけで、日本という
国は変わるかもしれませんね。」そのように私は大竹さんに言った。
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